
徳永京入道の稲荷神社の前から、沢内川に沿って旧道があり、およそ5.5キロメートルで旧峠に着く。
明治14年頃までは峠越えであったが、地元有力者の熱意と協力によりトンネルが開通されて、伊東方面へ往来するのに大変便利になった。
トンネル内には、道中安全祈願の地蔵尊が祀られていた。
その後、地震等の災害により、一時通行不可能となったが、それでも昭和10年頃までは利用することができた。
かってトンネル内にあった石仏は掘り出されて、現在は新旧の伊東街道の交差点に鎮座している。
今より800余年前、曽我仇討ちの仕掛人となった大見小藤太、八幡三郎を襲撃した伊東氏一族の武士たちが馳せ通った峠であり、また、狩野大見の名産ワサビやシイタケを江戸に送るため伊東港まで運搬する唯一の道であった。 |

現在のトンネル(近景) |

現在のトンネル(遠景) |
峠の天狗にまつわる伝説
万冶の頃(1658〜60)、この峠に天狗が住んでいて日夜道行く人を悩ましていた。
そこで里人は伊東の妙昭寺の日安和尚に天狗退散の祈祷を依頼した。和尚は天狗の住家と思われる大木の松の木の下で、七日七晩読経をしてから、その松の木を根元から伐らせた。
すると木の上から一枚の巻物が落ちてきた。
見ると異様な文字が書かれている。
早速、和尚に判じてもらうと天狗の詫び証文であるとのことだった。
それ以来、天狗は現われず平穏な峠道になったということである。
伝説の証文は現在仏現寺に残っている。 |
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新旧伊東街道交差点 |
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